2011年5月21日土曜日

曖昧な記憶

蒸し蒸しする日 午後 年末に
天国へ旅立たれた姉妹の記念礼
拝と偲ぶ会へ
人生の先達の生き様 人間性に
触れ 懐かしい思い
病が解ったのが昨年1月 延命
治療されないことを希望され
普通の生活を・・・・・
日曜日 お会いしてもお元気
11月にホスピス病棟に入院
何も知らされていなかったので
入院されたことすら 知らず
訃報を聞いた時の驚き
ごく一部の方は ご存じで
お見舞いに行かれ お別れもな
さっていたが かなりいろいろ
お世話になったのに・・・・・
とても残念 別れも 感謝も
何も言えず・・・・
今日の記念会でホスピス病棟の
チャプレンが ここの教会は
とても暖かい人たちで云々と
話された いつも教会員の方が
寄り添って・・・・・
全然知らされていなかった人間に
は とてもつらい言葉
哀しかった 淋しかった

人間の記憶って 曖昧なのか 年齢から察して 記憶力が
落ちているのか いずれなのか定かではないが 昨日 修学院離宮へ出掛け その近辺を散策したことによって 記憶力の覚束なさに 唖然としています
昨日 修学院離宮を拝観後 曼殊院門跡まで歩き庭や台所などを拝観 そして曼殊院を出たすぐのところ 森の中に佇む御茶屋さんでの昼食 
すぐ横に弁天神社があり 池がり 橋も架かっています その茶屋で食事をいただき 全員で記念撮影 池の亀や鯉にも餌をあげ 再び バスに乗るため白川通りまで歩き始めるが 離宮を出てからの道のり なんだか一度見たことのある風景 確か 曼殊院にも来た この道を歩いた この茶屋で あの場所で座って食べた このお店の前の風景 見たことがある
この小さな土橋も渡った記憶が どこかにある・・・・・見たことがある 記憶が・・・・・
頭の中をぐるぐる記憶がまわります 雲母坂 歩いた いつの日だったか・・・・・
確かさがなく あやふや そのまま なんだか気持ちが悪い すっきりしない そんな思いで帰宅 家に帰り着いて 夜 写真をパソコンに取り込んで 改めて景色を眺め 記憶をたどり寄せました そう 行ったんだ 散策の会で いつだったけ
何年前だろう 春だったのか 秋だったのか そう言えば 木の葉が染まり始めてた
過去の写真をたぐり寄せました ありました 
平成20年10月に〜洛北一乗寺の山裾を訪ねて〜と・・・・・その時の冊子も見つかりました 写真を見ると 思わず笑いました 茶屋の写真が 全く同じ場所 同じ角度で撮ったのがあるではないですか まわりの木々の様子 茶屋の前に置かれた植木鉢が 花が違うだけで そして池の 弁天神社の 全く寸分違わぬと言っていいほど同じ写真 馬鹿みたい 
あほらしくなって 自分一人で笑い転げました
なんという記憶でしょう 来たことがある 見たことがある そんな気がする まさか夢で見たのではあるまいと思いながら歩き 食べたことは 記憶は確かですが たった2年半前のこと もう記憶から抜け落ちてゆくのでしょうか
御茶屋では あそこに座った あそこで食べた気がする 
だけど何を食べたか覚えていない トイレに入れば ここのトイレに入ったことがある そこまで思いながらも その場では しっかとした確証はなくあやふやでした 記憶とはこんなものなのでしょうか 結構しっかり覚えているはずなのに なんだか哀しくなりました
いよいよ認知症に 近づいたのでしょうか 皆さんには こんなことは・・・・・?
思いようによっては 見たことがある 来たことがあると思っただけでも救われるのでしょうか 途中の道で鷺森神社の標識を見た時は そう 来たんだ どんな神社か覚えていないが
行きました 雲母坂も歩き 雲母漬けも買い求めた そこまで記憶があるのに 御茶屋のあたりでは 全く曖昧で 哀しいほど
これから年齢が行くに従って 脳の働きが悪くなり 記憶が曖昧になり 朝の出来事すら忘れゆくのでしょうか 昨日の夕飯 なに食べた? さあ〜 なんだっけ とい状態に・・・・・
哀しいね でも 仕方がないのかなあ〜
昨日は 記憶力に翻弄された日でもありました 
まだ 離宮の風景は 思い出せますよ 茶屋で食べたお蕎麦の内容も・・・・・でも淋しいね 
写真は 弁天茶屋のまわりの様子です 亀のポーズ お地蔵さん 赤い縁台 どれも味がありました 心和みます 縁台に座り 池の上を吹き巡る一陣の風に頬 揺さぶれ 小鳥の鳴き声を耳に 気持ちの良いひとときでした

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