2012年8月15日水曜日

祈りの日

雨模様かと思いしも暑い一日
今から67年前もこのように
暑い日だったように記憶して
いる 定かな記憶ではないが
子ども心に 戦争が終わった
と聞かされ 伯父や伯母達の
ホッとした顔を今でもはっき
り覚えている 暑い陽射しの
中で 太陽がキラキラ輝いて
いるそんな日だった
あの日の空は 雲一つない程
に晴れ渡っていた
戦争のために疎開を・・・・
駅から一里以上遠く離れた
山あいの村に預けられた
あの時 戦争が終わったと
聞かされた時 なにを想った
のだろう これで我が家に 
都会に帰れると喜んだのか
何も記憶がない 今日のような爽やかな雲が あの日も同じように
浮かんでいたのだろうか 空を見上げるだけの余裕があったのだろ
うか 各地で営まれた戦没者追悼式 あの時の体験者は 少なくなり
あの苦しみがすでに風化されつつある
まだ年端も行かぬ子どもが 親から離れて山村で暮らす 伯父や伯母
そして従兄弟がいたというものの 何もかも自分でする 洗濯は勿論
のこと 井戸水を汲んでするか 川で洗濯するか そして竿に通して
干す お風呂の水を汲むのが日課に与えられ 井戸水を汲む 大変な
仕事でした 右手の薬指にばい菌が入ったのでしょう 化膿して 
それが冬のことでしたから 冷たい風に当たるとその痛さは 泣いて
も泣ききれないほどでの痛み 母親が手当てしてくれるわけでもなく
自ら手当てをしていました 伯母達が 冷たいのではなく面倒を見る
だけのゆとりがなかったようでした 朝早くから畑へ出掛け夕方まで
戻りませんでしたから・・・・・完治するまでに何ヶ月もかかり 最
後は 爪が剥がれ・・・・・それでも耐えて泣きませんでした
母のところに帰りたい 父のところに 家族の下へ なんて泣き言は
一切言いませんでした 今の子どもからは想像できませんね
頭ではっきり解らずとも 戦争というものを身に浸みて解っていたの
でしょう 贅沢はいいますまい・・・・・
午後の空 雲の流れを眺め 67年前の空は どんな色 どんな空
だったのでしょう 喜びの空だったのか 哀しみの空だったのか・・
戦争放棄の憲法が出来 それを守って今日まで しかしよその国や
日本近海は怪しい雰囲気ですね
解っていながら 終戦を決断しなかった軍部 もう少し早く終えてい
れば 沖縄の苦しみも 広島 長崎の原爆投下もなかったことでしょ
うに でも 今はそれらを教訓として行くべきなのでしょうが・・・
切に平和を願います 二度と戦争は起こしてはならないと深く心に
刻み 平和を守る努力を そして深く祈ります 祈りの日です 



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