2012年8月9日木曜日

祈り〜1

広島・長崎が被爆して67年 そして
昨年 福島は被爆 被爆の苦しみが 
解っていながら 人間は何をしてきたの
か 昭和20年 子どもだった私には
広島 長崎で何が起きたのか何も解って
いませんでした 唯 ピカドンという
ど偉い爆弾が落ちたと言うことと もう
草木が生えないと大人が話しているのを
耳にしただけでした
高校に入学した最初の化学の時間に先生
が 広島の原爆が落ちた当時の様子を2
時間に渡って話して下さった 
広島高等師範に在籍だった先生は その
瞬間 市内にこそいなかったが すぐ市
内に入り友人・知人を探したと事細かに
話して下さった その時の様子が 心に
深く染みこみ 戦争が終わって15〜6
年目頃に初めて広島を訪れました
とてもさみしい街だった印象が残っています 
そして再び30年ぶりに訪れた広島
教会の中高生の夏のキャンプ「広島への
旅〜平和をつくりだすために〜」に参加
被爆体験者の方の話を間近に聞き 爆心
地に最も近い小学校を訪れ 平和記念公
園の碑巡りをして 世界平和記念聖堂の地下にある祈りの場で 
祈りを捧げ 充実した それでいて平和とはと考える三日間を
過ごしました(98年8月末)
二泊の旅でしたが 夜 夕食もすませ 祈りを地下にある祈りの場で
蝋燭の明かりだけで祈り その後 感想文を書かされました
子どもだけかと思いきや私たちも同じように二晩とも書きました
今その記録を見て懐かしくその時の光景が甦ってきます 
〜30幾年振りかにおとずれて その復興に駅を降りたとたんに驚き
ました何も生えないであろう 荒涼たるままであろうと言われたかの
地が このように変わっていたのは・・・川はすごく美しくなって
いました 本当に本当に驚きでした
夕べの祈りの地下聖堂は 心静かに洗われる気持ちがしました 
この静かな時 心静かな時がたとえわずかな時間でも持てたのは感動
です どこにいても どんな時にでもこういう心が持てる様に そう
いう心で祈れるようになりたいと強く思いました
明日訪れる平和公園 資料館などは以前の時と違った心で見える
でしょう 核のない平和の大切さをしっかりと心にとめたいものです
〜と書いてます 一部分です
二日目の感想文もあります 次ページで 読んでみてください
今の日本の現状を思い 核のない平和 福島の苦しみ 今改めて考え
直す時が来ていますね
二度と草木も生えないと言われた土地がめざましく復興をしたものの 
日を追うごとに風化されていく現状 そして原子力がいつのまにか
安全神話が生まれていった人間の奢り
今日は 長崎の記念日 昨年 福島での事故を鑑みていかにと・・・

写真はスペイン サンティアゴ巡礼の旅の時の写真です
コンポステラまで後300㎞弱のピレネーのイラゴ峠にある 鉄の
十字架です 祈りを込めて各自の石を積み上げていく
下段の写真はフラン領内で 教会の裏手にある墓地の横にたつ
十字架とイエス像 美し空の日 近くは美しい村がある
下段に 祈り〜2



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